グラブルのディレクター、福原哲也の情報を未来永劫残したいからマジメに考えてみた
まずは話をさせてほしい。
貴方は自分の推しや担当をなんらかの形で保存したいとは思ったことはありませんか?
私も思ったことがある。
どう保存するか、長持ちさせる方法はあるか、保存媒体は…とか。
前回が真面目なことを書いてたので今回は半ばネタで書いてやろうと思った。まあ途中は真面目だが。
あと無いとは信じたいが間違ってもこのページを開いたCygames及び福原哲也氏の関係者は今すぐにこのページとタブを閉じてほしい。そして履歴も消してほしい。見なかったことにしてほしい。是非は問わないが。
本題に入ろう。
今私はめちゃめちゃにグラブルのディレクター、福原哲也にハマっている。というかもうすでにアイマスpなので担当プロデューサーを名乗っている。
そこで思った。
遊び半分で思った。
福原哲也の情報を1000年後2000年後ぐらいまで残したいな、と。
自分の好きなものを未来永劫残しておきたいという気持ちは誰しも湧くだろう。あと1000年先ぐらいになって学者が新たに1000年前の資料を見つけた!って言って解読した内容がただのゲームクリエイターへの愛を語ってたということを知った時のなんとも言えないであろう気持ちを想像した。実際にそんなことになって天国で指差してめちゃくちゃに笑いたい。ヘンテコな考察を大真面目にしてる学者を見て、めちゃめちゃに笑いたい。
あと、いつかグラブルがサービス終了して物理媒体の設定集しか残ってない中、ディレクターの情報も同量レベルに残ってたる、という状況を生み出したい。しかも日本の現代の書籍は完全に洋紙が主とされているのでそれよりも保存が長く持つ媒体にディレクターの情報“だけ”保存されていたら…?考えるだけで愉快だ。
それでだ。本気で千年先、二千年先まで保存するとしたら、と考えた。
まずは保存媒体から考える。
スマホ、CD-ROMなどのデジタル媒体は論外。スマホはバッテリーが切れたり、そもそも配給会社が潰れたり、サーバーが維持できなかったらもはやデータとしては残らないだろう。CD-ROMも10年ほどで経年劣化でデータが壊れる可能性が非常に高い。そもそもそれらのデータを閲覧する機器が壊れてしまえば元も子もない。
USB、HDDなども同文。よってデジタル媒体は論外。
となるとやはり物理媒体になってくる。
まずは紙。洋紙はインクを乗せやすくするための成分を洋紙の原料、パルプ紙に合わせるために硫酸が使われている。硫酸は酸性であり、紙の劣化を招きやすい。(化学的なことをもっと詳細に書くのはこの記事の内容から外れてしまう上に長くなってしまうので割愛させてもらう。参考文献https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/20/5/20_5_245/_pdf)実際に欧米が管理している洋紙で書かれた書物は書かれて数百年経った今の時点でボロボロになってしまっているものも多い。洋紙ではなく、和紙の方が保存できる期間は長い。平安時代の源氏物語はともかく、奈良時代の文献も残っていることから(参考資料https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html)和紙の方が保存媒体としては優秀であることはわかる。ただ、今の和紙は平安時代辺りの和紙と比べて質は劣ってしまったらしいが、それでも上質な紙であれば1000年は残るらしい。
手元に残る情報媒体として、和紙はとても長く持つ優秀なものであることはわかる。次にインクだ。
和紙に書くとするならばやはり墨だろう。墨は主に炭素で構成されているため、虫食いやカビの発生を防ぐ。水に弱いという欠点はあるが湿気を避けて保存する方法を取れば良い。これに関しては後述する。
保存媒体としては和紙、そして情報を書くインクは墨…これが手元に残る資料として一番情報を長く持たせる最適解であろう。
しかし、手軽さを外視すると和紙に書かれた情報より長く持つものがある。壁画だ。
壁画はご存知の通り紀元前から存在するものもある。条件さえ揃えば保存媒体としては最も長く持つと考えられるだろう。ただし、日本は地殻変動が多く、地震が多い。洞窟や古墳等の壁画として弱点と考えられる洞窟や建造物自体の崩壊は簡単に想定が可能だろう。人の手によって、復元をするのならば話は別だが、ここではそこまで人の手が回らないことを考える。なりより、現実的にみて古墳等の建造物を作るのは労力的にも金銭面的にも厳しい。そもそも古墳を建築する技術が失われてる以上、無理がある。そして洞窟もほとんどが個人や公共自治体が管理されてると想定した上でそういう情報を書くのは実現不可能だ。よって壁画は断念せざるを得ない。
やはり、和紙は保存媒体としての保存できる期間は相当長く、優秀な物であることがわかる。そして現代でも若干費用はかかるが手に入りやすい。あと丁度いいことに私事ではあるが私は小学生の頃から書道を嗜んでおり、小中学生の部門では十段の一個上、特待を持っていた。(流派で異なるが私の流派はそんなシステムだった。)今も書道の段を所有しており、そこそこ良質な墨は持っている。もちろん固形墨だ。というわけで偶然ではあるが情報を書く環境はある程度整っている。
そして環境面の話をする。やはり幾ら何でも和紙が保存媒体に適しているとは言え、保存環境が悪ければ劣化して情報が読み取れなくなる。そうなればここまでの労力は無駄だ。
和紙が劣化する要因は湿気、直射日光、埃が考えられる。これらを避けられる日本古来から伝わる方法、それは箱に入れることだ。
箱といっても、どんな材質の箱に入れればいいってものではない。金属製の箱なら湿気が溜まりやすく、結露が発生しやすい。ただし、紙製の箱でも十分保存は可能らしい。しかし、頑丈さや虫食いなどの問題を考えると木製の方が適していると考えられる。
木製の箱に入れる。そして入れる時は湿度が高い場所ではなく、風通しの良い場所で入れる。さらに、定期的にチェックする。それらを私が死んだとしても続けていけば1000年は残せるだろう。古墳や洞窟の壁画と違って、管理のしやすさも和紙の特徴にあって容易に可能だろう。
あと、木製の箱といってもどれでもいいってことではない。
木材によって虫に食われやすい材質、または食われにくい材質がある。それらを吟味して選ばなければならない。
https://archives.pref.okayama.jp/pdf/H26AWkomonjohozon.pdf
を参考にしてもらった。この文献では桐、杉、モミが挙げられている。どれも紙を保存する木材としては優秀であろう。よって箱の木材はこの3つのいずれかになるだろう。
保存媒体と環境面の問題も考えた。あとは残すべき内容を考えなければならない。
ここまで真面目に書いてきて本当に現代から未来へ伝える保存媒体の役割を伝える記事で終わるならまだいいが、そもそもこの記事の方向性はグラブルのディレクターの福原哲也の情報を未来永劫まで受け継いでいきたいという邪念に満ちた行為からなるものだ。しかも専門家から見ると甘い部分はあると思うがそれでも学芸員を目指している高校生が本気で考えて書いたものだからタチが悪すぎる。しかも実現性まで考えてる。行動に移せば本当に残せるところまで行ってる気もしなくもない。というかできる。
少し話が逸れてしまった。改めて内容を考えよう。
ぶっちゃけ、内容はそんなに述べるものではない。グラブルのこと2割、福原哲也のこと8割ぐらいで書きたいぐらいだ。プロデューサーの木村唯人もちょっと触るぐらいの内容でいい。春田康一も同様にちょっと触るぐらい。更級日記の冒頭内容が源氏物語への愛を猛烈に語ってるように、福原哲也のことをここまで知ってて、んで容姿が可愛くてみたいなそういう破茶滅茶な愛が続いてる、そんな内容にしたい。紙面上だと音声が伝わらないが、絶対音感の人に声を聞いてもらってどの音階に当てはまるかを文章として記録すればいい。しかしまたここで問題がある。いくら保存媒体が良くても、数が少なすぎたらその分消失してしまう可能性が高い。そこで、私は情報量を増やすことを考えた。ただ、同じ内容を何枚か書いていても面白くない。だから情報量を増やすことを考えた。情報量を増やせば一部分が消滅しても一部分は残る。これは源氏物語の一説がある。源氏物語は全編は見つかってない、という一説もある。源氏物語60巻説を参照としているが、そもそも今現在最も有力な説はどれなのかはわからない。(めっちゃガバガバで申し訳ないが私の専門は縄文〜古墳時代であり、文献史学はまだまだ勉強中なので許してほしい。あと単純に文献史学の先生がいない。)(苦し紛れの言い訳)
結論を述べよう。
今ある情報媒体で一個人の情報のみを数千年後まで残すことは可能だ。複数の条件がなければいけないがそもそも放置した状態で数千年もつ情報媒体は無いに等しいので当たり前ではあるが。なんならその気になれば誰でもできる方法である。しかし、この誰でもできる方法になってしまったのが痛手である。誰でもできるようになったため、情報そのものの価値が下がっているからだ。平安時代以前の古代においての情報単体の価値は高い。なぜなら現代まで残されているものは少ない上に、情報媒体自体が伝言以外、庶民には手が出せない代物であったからだ。だが、現代は違う。金さえ払えば誰でも手にできる。さらに情報社会と呼ばれる今、情報そのものの価値は下がっているのだ。
情報を手軽に保存できるようになり、さらには伝達スピードも速い。ネットワークやメディアの普及によってもたらされた利点ではある。しかし、情報が溢れかえってしまった今は情報の取捨選択がなされる。どうでもいい情報は捨て去られる運命にある。
私はその、世間一般においてのどうでもいい情報をどうやって保存するかを考えた。その結果がこの記事である。
真面目に不真面目。この言葉を体現したつもりである。
ちなみに、この結論に至る前のボツ案もある。そもそもこの話自体がオタク友達との些細な会話から発想を得たものだ。
ボツ案は地球外に飛ばす方法だ。しかしこれをやると地球の軌道の計算やそもそも重力の変わった環境での和紙やインクの保存状態まで視野に入れなければならない。ここまで考察するほど私の頭は良くない。あとただでさえ長い文章がさらに長くなる。のでボツにした。
まあ地球が滅亡しても福原哲也の情報は絶対残るというパワーがありすぎる文章は面白いが。
ここまで読んでくれた方はとてもありがたい。そして忍耐力がある。自慢してもいいほどだ。