believe_meのブログ

つらつらつらつら

コミケに来たけど名古屋に行こう

8月上旬

 

NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO NO

 

let's go let's go let's go let's go let's go let's go 

 

Power

Thanks……Yoster,Blue archive.

 

I'm sleep

 

A.M. 5:50 Good morning

 

A greatest baseball playerahhhhhhhhhhhh!!!!!YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

Yeah.(200yen)

P.M. 14:30

This is the most delicious.

 

GOOD.

No………

過ぎゆく日と君へ (feat. nayuta)

過ぎゆく日と君へ (feat. nayuta)

  • Aiobahn
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

春の日 君と出会い、笑い

夏の日 君と汗かき、走り

秋の日 君へ、想い伝え

冬の日 真白に染まる街で、ひとり

 

P.M.16:00

勝て。

gogogogogogogogogogogogo

 

帰ってこい。

P.M. 17:00

Unwelcome School

Unwelcome School

  • ミツキヨ
  • テレビゲーム
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

let's go!!!!!!!!!!!!!

名古屋→伏見→栄→伏見→名古屋

 

home.

ココロがかえる場所

ココロがかえる場所

  • provided courtesy of iTunes

 

でらます、みんな行こう。

https://www.mwt.co.jp/kokunai/chubu/special/millionlive

 

Wow wo!! 酒を飲め Wow wo!! 酒を飲め

酒を飲めトリコ 酒を飲め

 

trash box

Wow wo!! 酒を飲め Wow wo!! 酒を飲め

酒を飲めトリコ

 

 

酒を飲めば全てを忘れる

 

https://www.youtube.com/watch?v=q6EoRBvdVPQ&pp=ygUDWWVl

Yee.

 

Let's Dancing  Night

 

 

フィックスリリース

Bye.

 

あゝ青春 あゝ燃ゆ

拝啓。 何か燃えてますね。

 

 

 

 

今回の裁判で燃え燃えキュン♡なあの2社ですが2社ともわたくしの青春を見事なまでに粉砕した3社のうちの2社でもあります。あと1社はバンナム

3年前のお気持ち表明はてぶをみても当時の狂いっぷりがわかると思います。なので今回は

 

オタクが青春(と今の今まで)でお前ら2社にどれだけ貢いだと思ってんのじゃい祭を開催します。

全てが終わってます

 

 

今回の祭りはお互いに貢いだところと貢いだ上でのきらいなところを挙げます。ぶち上げます。そういう祭りなので。

ちなみにですがどちらも今はもうその界隈にいません。その理由もついでに載せときます。

あと全てワイ個人の意見です。ここが違う!って言われても知らんがな。今日のワイは無責任です。無礼講といきましょう。

 

コ……ンマイ

  • 音ゲー 数えてるわけねえだろボケ5万は下らん、嘘10万。

サントラ等も含めて。ちなみにガチ田舎すぎてあったビーマニ音ゲーせんごく烈伝しかなかったので少ない方。ちなみに今はせんごく烈伝すらない。地方のゲーセンはもう終わり。

地方から来た時に今はもう亡きミュゼカに社員のコスプレのスキンを手に入れるのに2〜3万くらいぶっ込んだ記憶はあります。それでも全部手に入ってなかった記憶あります。ていうか音ゲーのイベントがまあまあ作業ゲーで苦痛だった。

でもそのおかげで後述のグラブルを3年近くやれるモチベと気力がつきました。いらん気力つけるな。地力をつけろ。

 

  • プロスピ+パワプロ CSアプリ含めこちらも20万くらいあるんじゃねーの?数えてるわけねえだろ。

2021年1月の終わり頃にきたベストナインガチャの甲斐拓也くんを当てるのに3万やりました。まだ序の口。ちなみにうちのチーム甲斐拓也くんが5人もいる。全員限定。内訳は侍(2021)とベストナイン(2020)とベストナイン(2021)とエキサイト(2021)チュッ♡かわいいからいいよ♡ 特に2020のベストナインのたくやくんの尻がでかいのでとても良い大変助かってます。

あと、2022年の夏のOBイベで谷繁を手に入れるためにまた5万溶かしてます。これは純粋にガチャではなくイベントを走って5万溶かしました。でも30連は回してるので1万溶かした上で5万溶かしてます。

その時のスクショ。目標が2万位なのでまあまあなオーバーランである。

マンチャン(岩瀬仁紀)は1万で来たのでえらい。一般人に優しい。

あとこれはただの欲望なんですけど

KONAMIはいい加減TS浅尾きゅんとOB川上憲伸をくれ。もう2年も待ってる。

去年一昨年で(一昨年のあさおきゅんガチャを逃したワイも悪いんですけど)マンチャン(岩瀬さん)、谷繁、上原浩治高橋由伸のガチャは出したのに頑なに川上憲伸は2年間出してない。はよくれ。俺の願望、川上→浅尾→岩瀬を叶えさせてくれ。

でも、なぜかチェンウェインと吉見一起のガチャは2年連続できたのが不思議。先発好きなんか?コンマイは。

100万歩譲ってプロスピプロチームの中日の監督をしてる吉見はわかるんですけど(プロチーム監督ガチャがあるから)チェンがなぜ2年できたのかわからん。本当にわからん。

そのせいでコンマイと中日本社をデレステ方式で蒸さない?とか言ってた時期がありました。正直今も蒸したいです。特に中日本社。

 

で界隈を抜けた理由になるんですけど

単純にどっちもしんどい。音ゲーに関してはBST騒動がマジで今だに絶許案件になってるほど『無理』になった。

プロスピは年1で入れ替わるシステムがキツくて自然に辞めたようなものになってしまった。好きな選手来たら引く…というスタンスもそもそも引退した選手(つまりコーチや監督や解説)の方が推しや担当になってしまったため、通常のガチャで手に入れられない。

だからパワプロばかりしてるんですよね。アバターもかわいいし。ただパワプロパワプロでゲームバランスが崩壊してる

あとプロスピは選手によって似てる似てないの幅がデカすぎる。5万かけて手に入れた谷繁がコレ

邪神モッコスもビックリじゃ!!!(ノブ)

ごめん邪神モッコスはいいすぎた。

でもマンチャンはまあまあ似ててかわいさもあるんだよなあ……なのでプロスピはマンチャンを回してボンドルド卿の気分になって眺めるゲームです 岩瀬さんはかわいいですね

 

こんな感じに回して見てる。プロスピはそういうゲーム。

 

 

サイゲくん

  • グラブル 知らん。覚えてねえ。30万ぐらいじゃね?

グラブルくんは金の数もそうなんですけどワシはそれ以上に時間を奪われました。特にニーア加入まで丸1年かけ、加入した数ヶ月後に弱体化されたことはまあ根に持ってます。

ていうかグラブルはワイが言う前にちょっと調べれば沢山の呪詛があるのでそちらを見てください。そっちの方がより悲惨さがわかるので。ワイはもう書きません。なぜならランク150の新人でやめたので。4天2賢のカスなので。

途中から古戦場中止で本気で喜ぶほどやる気がなかったきくうし(笑)になってました。あと賢いグラブルガチャの回し方してたので年末年始か周年のガチャしか引いてないので割と被害額は少なめです。

いや、グラブルって年単位で100万突っ込んでる人当たり前に蔓延ってる界隈なんで…

だから俺はクソザコ。言うことない。

 

  • プリコネ 正月キャルに3万突っ込んだ。以上。

それ以上もそれ以下もない。それ以降も定期的に入れては消してを繰り返してるけど石をバカみたいに配るので課金はしとらん。それだけ不具合祭りしてるってこと

 

肝心のウマ娘の額が少ないって?本物の馬の方が面白い。以上。 でもシュヴァルグランが実装されたら課金しますそれまで寝てます。

 

 

で界隈を抜けた(というかやめた)理由は

しんどいofしんどいofしんどい

まあ全部グラブルのせいなんですけど。いや〜やめたくなりますよ(癒着・蔓延るツーラー・運営の対応が終わってる(古戦場中止で3000石)・周回しんどすぎ・古戦場で腱鞘炎・落ちない青箱・復刻しないコラボイベ・セフィラクソしんどい)こんなゲーム。キャラデザとbgm以外誇れるとこ、ない。

でもニーアちゃんは好きでドールまで作っちゃうほど好き。キャラもいい。ニーア取得のためだけにグラブルやってたと言っても過言じゃない。ゲーム本体はしんどい。

かわいい。ちなみにドール本体で10万近くかかってるよ。

 

グラブル本編に金かけるより確実に物理で実在するドールに金かけた方が良くね?天才の発想をしたな……オレ!(バカ)

どう足掻いても本体のゲームはクソであることに変わりはない

 

以上。

ワイがあの燃えまくり2社にどれだけ命と金をかけたのかがわかりましたね。そしてどちらも嫌な思い出や想いを持っていることもわかりましたね?

よって私があの2社に言いたいことは一つです。

 

 

勝手に戦え!!!!

 

 

厄介 〜noli me tangere. 〜

厄介とは


麻薬の一種である。使用者に依存性や幻覚をきたす。ステージの上に立った演者、大音量で流れているbpmの早い曲を生贄に自らを神と錯覚するような幻覚の見方をする使用者が多く、エンセオジェン(Entheogen)=「自分の内に神をみる」いわば使用者のナルシシズムを著しく発達させるものである。

身体的な有害性は無く、薬物乱用とは一線をかくが厄介における有害性は嗜癖を引き起こすことにある。特定の光量以上を持つケミカルライトのみ使用する、禁止行為を自ら行う等が嗜癖の一例になる。前述の通り、ナルシシズムを著しく、かつ一時的に発達させるため身体的依存も引き起こす確率が高い。

呼称における厄介の定義は厄介そのもの、厄介の使用者、両方をあてはめるような使い方が多く見られる。ここでは厄介、使用者と分けて説明する。


厄介による主な症状

アルコールと同じく遷延性離脱症候群が使用者の中では見られる。これにより、厄介によって自尊心が満たされた状態と欠如を繰り返し、依存症に繋がる。使用者によっては自尊心の過剰によって自己愛性パーソナリティ障害にみられる症状がみられる。自らの賞賛、或は自らの行為の正当化を求めようとする。厄介の使用者は精神疾患では無い。これは精神障害の定義、WHOによって定められた定義に反するからである。しかし、アヘンやコカイン等と同様の身体的若しくは社会的害悪を引き起こすことから麻薬に指定される。ここにおける社会的害悪とは他人への視界不良、演者や器物の損害等があてはまる。

一例

・ケミカルライトもしくはペンライトを無理するような持ち方で振り、持っていたケミカルライト等が飛び演者もしくはその他の観客に当たり、損傷を受ける。もしくは機材に当たり器物破損を起こす。

・ライブの定められた規則に反する大型のペンライトを持ち込み、後列にいる観客に演者やステージを見えなくする。

なお、これらの社会的害悪はあくまでも厄介の使用者が引き起こす確率が高いのであって使用者ではなくても起こりうることではある。


厄介の規制

厄介は現時点では麻薬及び向精神薬取締法による規制はされていない。民間企業の間で厄介及び厄介の使用者に対し規制を設けている。

アイドルマスター 2012年の7thライブ THE IDOLM@STER みんなといっしょに! の例  会場限定販売ペンライト及び市販のペンライト、タワーレコード限定星井美希ペンライト(ボタン電池のみ使用) のみ使用可、その他改造サイリウム使用不可また市販のペンライトに関しても25cm以上は使用不可

2014年のM@STER OF IDOL WORLDまで変更なし。

2015年のM@STER OF IDOL WORLDにて

また周りのお客様のご迷惑となるような大声、奇声、公演の妨げとなる大きな音を鳴らす等の行為、両手を左右に激しく振る、腕を振り回す、上半身を反らすなどの過激な応援行為、過度なジャンプ行為も禁止させていただきます。

という文言が追加されている。

その他、バンドリ、ラブライブ等も以上の行為を禁止している。

しかしこれらは根本的な規制、解決には至っておらず使用者によって持ち込まれることがほとんどである。


厄介に対する議論及び反対意見

厄介に対する議論は度々されている。

そもそも確実に規制の明記がなされているのに行為をするのはおかしいものであるという意見が出される。しかし、それを使用者に言うべきではない。前述したとおり使用者は自尊心が過剰したした状態に陥っており、正常な判断は不可能である。よって、厄介に対する議論はライブを運営している民間企業らで行うべきである。


厄介の使用者の対処法

使用者の対処は運営する企業や会社への意見、あるいはスタッフ等への通報が該当する。注意したとしても使用者とのまともな対応は期待できるものではない。使用者への対処法は第三者へ対応を頼る他ないのが現状である。




雑記

冗談が通じないって苦しい?

とある発達障害の人のツイートがTLに流れてきたのでなんとなく触発されて書くことにした。案外単純な思考回路をしていると我ながら思う。

本題。ここ数年で私の人生は辛いと感じるようになることが増えた。思春期に入り始めた中1の頃から“我”がどれほど周りと比べて異質なのかを知ったからだと思う。少なくとも小学生の頃までは楽しかったのを覚えている。もちろん先生に怒られて辛かったことはあるが、楽しかった思い出の方が強い。

当たり前だが小6の後半あたりから思春期に入る。でもって中1には完全に思春期に入る。中1の頃は小6となんら変わらなかった。途中までは。

中1、ある日を境に自分の自由な行動がどれだけ周りにとって腹ただしく見えてくるのかを知った。

帰り際に車の窓から友達に手を振ったり、先輩呼びが嫌でなるべく会わないようにしたり、赤の他人を間違えて母さんと呼んだりするのが、常識と違うから腹ただしく見えてくるというのを知った。

それと同時に部活での先生と先輩の矛盾した指示の違いに混乱し、先輩から怒鳴られる。挙句、吹奏楽部にいたので楽器の運指を覚えるのに数ヶ月かかった。周りは1週間とか長くても1ヶ月で覚えてた。その自分の不器用さに先輩は腹を立ててた。部活の時間は毎回、怒鳴られるのが当たり前になった。

 部活だけじゃなかった。中学校になったらオタクの友達も増えるかなと思ったらそんなことはなかった。周りは全員、普通の人間で唯一別の人間であった私を寧ろ蔑むような、玩具にされるような、そんな扱いばかりされてた。

 年上と年下にオタクの友達は増えたが同い年の、同じクラスの友達にそんな友達はいなかった。

勉強すら塾に行っても伸び悩み、テストの答案が返された時の母親との会話が気まずくなることも多々あった。母親も私の不甲斐なさに腹が立っていたと思う。

中1の中頃、私はたまに保健室に行くようになった。しばらく休んだらまた授業に戻る、そんな感じだった。そんなことをしたら長く持たないからと中2の頃にはその癖を自主的に治した。

中2の頃は比較的穏やかに周りと波長を合わせて過ごせたのは覚えている。前述したオタクの友達と会話する頻度が高かったからだと思う。ただ、それ以外のことが覚えていない。穏やかに周りと合わせて過ごせていたことだけしか覚えてない。修学旅行は京都の文化財を知る体験版に過ぎなくて、楽しかったのに途中で強制終了させられた感じがした。

中3。一番篭ってた。中3に限って学級崩壊を起こし、授業なんて出来る雰囲気ではなかった。月に一度、保護者会が行われたほど荒れていた。そんな流れのせいで不登校ではなかったが保健室に篭っていた。3学期になる直前まで篭っていた。もうこれ以上は思い出したくない。どんなに辛いと訴えてもバカにされて返された記憶しかないからだ。

高校。高校に入学したからには不登校も保健室にも篭らずに課題をやってちゃんと授業を受けて、周りと一緒に行動しようと思ってた。

結果、無茶をしたせいで1年の冬頃に風邪をひき学校を1日休んだ反動で1年間ずっと辛かったことしか思い出せず母か祖母かに明日は学校行けるねって言われたのをきっかけに

「学校行きたくない」

と言って泣きじゃくった。その後只事ではないと思ったのか母が担任の先生に連絡したのは覚えてる。

その後どうなったか、未だにはっきり覚えてない。しばらく学校休んで、保健室登校はしてた気がする。高1のこの期間の記憶はあまりない。

高2。多分も何も一番辛かった。学校に行きたくない原因の一つである、とある先生がまたとある授業の担当の先生になっていた。その際で恐怖に震えながら授業を受けてた。ある日、成績のいい人とあまり良くない人とで授業を受ける人を分けようとなった。私はその授業の成績は良くなかったがトラウマの先生の授業は良くない方だったので成績のいい方に入ろうと担任の先生に言われた。

トラウマ元から離れればなんとかなるかなと思い、その通りに別クラスの方に行って授業を受けた。授業が終わり、これなら行けそうだと思った矢先、トラウマの先生が隣の自分のクラスの教室から出てきた。

その先生は、仏頂面で私に迫った。

私の授業に何でいなかった、とか他のところにいるならそう私に伝えろとか、そもそも課題を〜や、余裕なんだから私の授業は受けないんだろう…等。

1年の頃からその先生から矢面に立たされると何も言えなくなり、途中から泣いてしまい、最後には過呼吸になるほどその先生がトラウマだった。再出発を始めた矢先に私は学校に来れなくなる原因と鉢合わせた。しかも廊下で起きたせいで周りに見られてる。だから耐えなきゃと思ってたのも砂の山のように簡単に崩れ、涙と過呼吸が止まらなくなった。その異常な状況で騒ぎになってたらしく、学年主任の先生が駆けつけて事態は収束した。

この出来事のせいでその先生が異動になった今でも、その教科の授業にあまり出られなくなってしまった。

その教科そのものが恐怖になってしまった。

恐怖に怯える傍、歴史の授業が心の支えだった。日本史とは違う、特殊な歴史の時間があり、その先生がその日は課外学習が多いからという理由で4時間目から6時間目まで歴史の授業が入っていた。その先生曰く、昼休みが20分しか取れなくて昼飯を食べる時間がないから4時間目から取った、と言ってたこを覚えている。学校バレが怖いのでこれ以上は伏せるが、水曜日の昼から午後は楽しくもあり、慰めの時間でもあった。

退学するか、転校するかという話も出てたがこの歴史の授業のおかげで何とか同じ学校にいられた。

あとはアイマスを知ったことも大きい。そこで知り合った人と話すのが楽しかったのもある。

もちろん衝突もあってそれに気を病んだことも多々ある。衝突した挙句、人生で一番気を病み、自殺行為までしかけた出来事があったがそれを書くとまた厄介ごとに成りかねないので省略。

その厄介ごとの所為で私の前のツイッターアカウントは一発で永久凍結されたとだけ書いておく。


そして現在。今の心境はどうかというと割といい方ではあると思う。自分でこうすれば一番ストレスにならないで済むとか、こんなことをしたらまた憂鬱になるから避けるというのが自分でわかってきたからだ。

ただ、逃げるのは楽だがそれは他の人から見れば甘えになる、しかし逃げなければ私の精神はまたストレスに押し潰されてしまう…その考えがずっと頭の中でぐるぐるしている。

そして、理解されずに馬鹿にされるという出来事がリアルじゃない、オタクのつながりの中で起きている。

こういうのが嫌なんだ、不快なんだ、と本心から言っても馬鹿にされ、それこそ玩具にされる。

そして、メンヘラと笑われ、虐められ、好きなことさえ『気持ち悪い』の烙印を押され、怖いもの見たさでその人から見れば『気持ち悪い』私の好きなことを笑い、玩具にされ、晒しあげられる。

本当に苦しんでる中で、身体中を蹴られ、殴られるような感情を超えた、虚しさを感じた。


私を嘲るように笑った、その声がこびりついて離れない。

異端の私に現実でも、ネット上でもどこにも居場所はないことを悟った。


そして口々に彼らは言う。

「冗談が通じないのかよ」と。


私は、今も今までもずっと苦しいままだった。

楽しいね!

楽し〜〜〜〜



哲学的なことを討論した後に個人の情報を根掘り葉掘り調べるの、個人の情報の特定というアホな行動をするの、というか哲学的なことを考えた後にわかりきったアホな行動をするの、人間味って感じがあって楽し〜〜〜〜





楽し〜〜


別に悪いことに使うわけではないけど情報の収集すんの楽し〜〜



P.S. 今日も福原哲也と石原章弘はかわいい

グラブルのディレクター、福原哲也の情報を未来永劫残したいからマジメに考えてみた

まずは話をさせてほしい。

貴方は自分の推しや担当をなんらかの形で保存したいとは思ったことはありませんか?

私も思ったことがある。

どう保存するか、長持ちさせる方法はあるか、保存媒体は…とか。

前回が真面目なことを書いてたので今回は半ばネタで書いてやろうと思った。まあ途中は真面目だが。

あと無いとは信じたいが間違ってもこのページを開いたCygames及び福原哲也氏の関係者は今すぐにこのページとタブを閉じてほしい。そして履歴も消してほしい。見なかったことにしてほしい。是非は問わないが。

本題に入ろう。

今私はめちゃめちゃにグラブルのディレクター、福原哲也にハマっている。というかもうすでにアイマスpなので担当プロデューサーを名乗っている。

そこで思った。

遊び半分で思った。

福原哲也の情報を1000年後2000年後ぐらいまで残したいな、と。

自分の好きなものを未来永劫残しておきたいという気持ちは誰しも湧くだろう。あと1000年先ぐらいになって学者が新たに1000年前の資料を見つけた!って言って解読した内容がただのゲームクリエイターへの愛を語ってたということを知った時のなんとも言えないであろう気持ちを想像した。実際にそんなことになって天国で指差してめちゃくちゃに笑いたい。ヘンテコな考察を大真面目にしてる学者を見て、めちゃめちゃに笑いたい。

あと、いつかグラブルがサービス終了して物理媒体の設定集しか残ってない中、ディレクターの情報も同量レベルに残ってたる、という状況を生み出したい。しかも日本の現代の書籍は完全に洋紙が主とされているのでそれよりも保存が長く持つ媒体にディレクターの情報“だけ”保存されていたら…?考えるだけで愉快だ。

それでだ。本気で千年先、二千年先まで保存するとしたら、と考えた。

まずは保存媒体から考える。

スマホ、CD-ROMなどのデジタル媒体は論外。スマホはバッテリーが切れたり、そもそも配給会社が潰れたり、サーバーが維持できなかったらもはやデータとしては残らないだろう。CD-ROMも10年ほどで経年劣化でデータが壊れる可能性が非常に高い。そもそもそれらのデータを閲覧する機器が壊れてしまえば元も子もない。

USB、HDDなども同文。よってデジタル媒体は論外。

となるとやはり物理媒体になってくる。

まずは紙。洋紙はインクを乗せやすくするための成分を洋紙の原料、パルプ紙に合わせるために硫酸が使われている。硫酸は酸性であり、紙の劣化を招きやすい。(化学的なことをもっと詳細に書くのはこの記事の内容から外れてしまう上に長くなってしまうので割愛させてもらう。参考文献https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/20/5/20_5_245/_pdf)実際に欧米が管理している洋紙で書かれた書物は書かれて数百年経った今の時点でボロボロになってしまっているものも多い。洋紙ではなく、和紙の方が保存できる期間は長い。平安時代源氏物語はともかく、奈良時代の文献も残っていることから(参考資料https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html)和紙の方が保存媒体としては優秀であることはわかる。ただ、今の和紙は平安時代辺りの和紙と比べて質は劣ってしまったらしいが、それでも上質な紙であれば1000年は残るらしい。

手元に残る情報媒体として、和紙はとても長く持つ優秀なものであることはわかる。次にインクだ。

和紙に書くとするならばやはり墨だろう。墨は主に炭素で構成されているため、虫食いやカビの発生を防ぐ。水に弱いという欠点はあるが湿気を避けて保存する方法を取れば良い。これに関しては後述する。

保存媒体としては和紙、そして情報を書くインクは墨…これが手元に残る資料として一番情報を長く持たせる最適解であろう。

しかし、手軽さを外視すると和紙に書かれた情報より長く持つものがある。壁画だ。

壁画はご存知の通り紀元前から存在するものもある。条件さえ揃えば保存媒体としては最も長く持つと考えられるだろう。ただし、日本は地殻変動が多く、地震が多い。洞窟や古墳等の壁画として弱点と考えられる洞窟や建造物自体の崩壊は簡単に想定が可能だろう。人の手によって、復元をするのならば話は別だが、ここではそこまで人の手が回らないことを考える。なりより、現実的にみて古墳等の建造物を作るのは労力的にも金銭面的にも厳しい。そもそも古墳を建築する技術が失われてる以上、無理がある。そして洞窟もほとんどが個人や公共自治体が管理されてると想定した上でそういう情報を書くのは実現不可能だ。よって壁画は断念せざるを得ない。

やはり、和紙は保存媒体としての保存できる期間は相当長く、優秀な物であることがわかる。そして現代でも若干費用はかかるが手に入りやすい。あと丁度いいことに私事ではあるが私は小学生の頃から書道を嗜んでおり、小中学生の部門では十段の一個上、特待を持っていた。(流派で異なるが私の流派はそんなシステムだった。)今も書道の段を所有しており、そこそこ良質な墨は持っている。もちろん固形墨だ。というわけで偶然ではあるが情報を書く環境はある程度整っている。

そして環境面の話をする。やはり幾ら何でも和紙が保存媒体に適しているとは言え、保存環境が悪ければ劣化して情報が読み取れなくなる。そうなればここまでの労力は無駄だ。

和紙が劣化する要因は湿気、直射日光、埃が考えられる。これらを避けられる日本古来から伝わる方法、それは箱に入れることだ。

箱といっても、どんな材質の箱に入れればいいってものではない。金属製の箱なら湿気が溜まりやすく、結露が発生しやすい。ただし、紙製の箱でも十分保存は可能らしい。しかし、頑丈さや虫食いなどの問題を考えると木製の方が適していると考えられる。

木製の箱に入れる。そして入れる時は湿度が高い場所ではなく、風通しの良い場所で入れる。さらに、定期的にチェックする。それらを私が死んだとしても続けていけば1000年は残せるだろう。古墳や洞窟の壁画と違って、管理のしやすさも和紙の特徴にあって容易に可能だろう。

あと、木製の箱といってもどれでもいいってことではない。

木材によって虫に食われやすい材質、または食われにくい材質がある。それらを吟味して選ばなければならない。

https://archives.pref.okayama.jp/pdf/H26AWkomonjohozon.pdf

を参考にしてもらった。この文献では桐、杉、モミが挙げられている。どれも紙を保存する木材としては優秀であろう。よって箱の木材はこの3つのいずれかになるだろう。

保存媒体と環境面の問題も考えた。あとは残すべき内容を考えなければならない。

ここまで真面目に書いてきて本当に現代から未来へ伝える保存媒体の役割を伝える記事で終わるならまだいいが、そもそもこの記事の方向性はグラブルのディレクターの福原哲也の情報を未来永劫まで受け継いでいきたいという邪念に満ちた行為からなるものだ。しかも専門家から見ると甘い部分はあると思うがそれでも学芸員を目指している高校生が本気で考えて書いたものだからタチが悪すぎる。しかも実現性まで考えてる。行動に移せば本当に残せるところまで行ってる気もしなくもない。というかできる。

少し話が逸れてしまった。改めて内容を考えよう。

ぶっちゃけ、内容はそんなに述べるものではない。グラブルのこと2割、福原哲也のこと8割ぐらいで書きたいぐらいだ。プロデューサーの木村唯人もちょっと触るぐらいの内容でいい。春田康一も同様にちょっと触るぐらい。更級日記の冒頭内容が源氏物語への愛を猛烈に語ってるように、福原哲也のことをここまで知ってて、んで容姿が可愛くてみたいなそういう破茶滅茶な愛が続いてる、そんな内容にしたい。紙面上だと音声が伝わらないが、絶対音感の人に声を聞いてもらってどの音階に当てはまるかを文章として記録すればいい。しかしまたここで問題がある。いくら保存媒体が良くても、数が少なすぎたらその分消失してしまう可能性が高い。そこで、私は情報量を増やすことを考えた。ただ、同じ内容を何枚か書いていても面白くない。だから情報量を増やすことを考えた。情報量を増やせば一部分が消滅しても一部分は残る。これは源氏物語の一説がある。源氏物語は全編は見つかってない、という一説もある。源氏物語60巻説を参照としているが、そもそも今現在最も有力な説はどれなのかはわからない。(めっちゃガバガバで申し訳ないが私の専門は縄文〜古墳時代であり、文献史学はまだまだ勉強中なので許してほしい。あと単純に文献史学の先生がいない。)(苦し紛れの言い訳)

結論を述べよう。

今ある情報媒体で一個人の情報のみを数千年後まで残すことは可能だ。複数の条件がなければいけないがそもそも放置した状態で数千年もつ情報媒体は無いに等しいので当たり前ではあるが。なんならその気になれば誰でもできる方法である。しかし、この誰でもできる方法になってしまったのが痛手である。誰でもできるようになったため、情報そのものの価値が下がっているからだ。平安時代以前の古代においての情報単体の価値は高い。なぜなら現代まで残されているものは少ない上に、情報媒体自体が伝言以外、庶民には手が出せない代物であったからだ。だが、現代は違う。金さえ払えば誰でも手にできる。さらに情報社会と呼ばれる今、情報そのものの価値は下がっているのだ。

情報を手軽に保存できるようになり、さらには伝達スピードも速い。ネットワークやメディアの普及によってもたらされた利点ではある。しかし、情報が溢れかえってしまった今は情報の取捨選択がなされる。どうでもいい情報は捨て去られる運命にある。

私はその、世間一般においてのどうでもいい情報をどうやって保存するかを考えた。その結果がこの記事である。

真面目に不真面目。この言葉を体現したつもりである。

ちなみに、この結論に至る前のボツ案もある。そもそもこの話自体がオタク友達との些細な会話から発想を得たものだ。

ボツ案は地球外に飛ばす方法だ。しかしこれをやると地球の軌道の計算やそもそも重力の変わった環境での和紙やインクの保存状態まで視野に入れなければならない。ここまで考察するほど私の頭は良くない。あとただでさえ長い文章がさらに長くなる。のでボツにした。

まあ地球が滅亡しても福原哲也の情報は絶対残るというパワーがありすぎる文章は面白いが。

ここまで読んでくれた方はとてもありがたい。そして忍耐力がある。自慢してもいいほどだ。

…あとグラブル運営は古戦場中におきた2回目の鯖落ちの詫び石をくれ。それだけだ。

“普通”のプロデューサーさんへ、普通ってなんですか

また、また、“普通”のプロデューサーにブロックされていた。

最初はそうだよな、俺は異端だよなと思った。が、考えれば考えるほど“普通”ってなんだろうと思った。

アイマスpにおける、“普通”とは一体なんだろうか。

担当がいるから?その中の人のファンでもある?

私には、わからない。

“普通”がわからない。

でも、私みたいにクリエイターまで好きになってその中で既に退社して、もはや関係ないとまで言われるディレ1を担当して、プロデュースしている、と言っているのはいささか知ってる人によれば滑稽に見えるんだろうなと思った。

だから私は“普通”ではないのだろう。

そもそも私がアイマスpになる流れも“普通”じゃないのかもしれない、私がそう思ってるだけで“普通”と思うかもしれないが。

私がアイマスpになる過去のことを話す。

私がアイマスpになったのは井上拓と増渕裕二のおかげだ。元音ゲーマーで『夜明けまであと3秒』で井上拓の曲にどハマりして、それで「一回ぐらいはイノタクの曲を全曲聞くか」と一曲ずつ漁っていった。それでみりあちゃんに出会った。一目惚れだった。

亜美も同じような出会い方だった。増渕裕二さんの曲が好きで『黎明スターライン』を知り、亜美を知った。だからアイマスで始めて、2番目に買ったCDはみりあちゃんのCMと亜美真美と律子さんのマスタースペシャルだった。

これが私がアイマスpになる主な要因だ。

これが“普通”に見えているだろうか。

担当はあと3人、いや5人いる。出会い方は多分私の中では“普通”だと思う。なんとなく、普通なのだろうと漠然としてはいるがわかる。ただ、最後の2人は除いて。

3人、それは絵理と紬と千雪さんである。絵理はデレマスのイベントで『ピーン』ときて、担当になった。ディアリースターズも買った。紬はミリシタのサービス開始当初のリセマラで何度やっても紬しか出なかった。それで渋々紬にしてたのだが、フェス限が当たって担当にすると決めた。千雪さんはシャニマスで始めて思い出を5にした思い出深いアイドルだ。

最後の2人、石原章弘と福原哲也。

ほら“普通”じゃないんでしょう?

石原章弘は765万歩譲っていいとしても福原哲也はそもそもアイマスじゃないだろうって。

きっと思うんだろう。9割9分9厘のプロデューサーがそう思うんだろう。そもそも石原章弘も福原哲也も知らないプロデューサーもいるだろう。

でも私は、担当している7人のうちで一番担当として尽力を尽くしてるつもりなのが石原章弘、ディレ1だ。

ディレ1、石原章弘アイマスの元総合ディレクターであり、ウマ娘の元コンテンツプロデューサー。一言で言い表すなら『ただのエライおっさん』である。でも私はその『ただのおっさん』に心を惹かれた、いや、奪われたといった方が正しい。それぐらい衝撃を、慟哭を、言い表せないような感情を、抉られ、奪われ、愛を注いだ。おそらく側からすれば“酔狂”なのだろう。

ある人からすればアイマスを殺しかけた人という認識を持っているだろう。ある人からすれば声優の当てはめ方が上手なただのエライおっさんなのだろう。あるいは、ウマ娘から逃げたとか、クビにされたとか思ってる人もいるだろう。

でも私はそんなディレ1の過去を真摯に受け止め、クリエイターとしてではなく、アイドルとしてどう昇華させるべきかを考えていた。

そのくらい、本気だ。本気で“プロデューサーごっこ”をディレ1に対してやっていた。アイドルへではなく、1人のクリエイターへ向かってやっていた。

この時点で愛の向き方が“普通”ではないのだろう。

きっと“普通”は中の人、声優さんの方へ向かっていくのだろう。だが、私は違った。私はクリエイターの方へ向かっていった。かつて私がスマブラ桜井政博に夢中になったように、ゲーフリの大森滋に夢中になったように、当たり前のようにクリエイターの方へ愛は向かっていった。

それが“普通”ではない、“異端”なのだろう。私にとって自然な“普通”の愛の向かい方が、一般的なアイマスpにとって“異端”なのだろう。

それは痛いほど感じる。

それが“普通”のプロデューサーからみて“異端”であり、人によっては『気持ち悪い』『晒しあげる』『一緒にするな』なのだろう。全部私にかかってきたアイマスp達の言葉だ。

私は愛をかける方向性が違うだけで愛のかけ方は同じだと思ってるのだが。

私は生っすか2015でガミpとフェチ川が笑って風呂の話をしていた時に照れているディレ1を見て衝撃を受けてからずっと担当を名乗り続けている。私が生っすか2015の動画を見た時はもうディレ1は退社してたが。

ディレ1の画像欲しさに2009年の電撃PS電撃マ王も買った。2009年のsakusakuの画像があれば当時のブログから画像をダウンロードした。アイマス2時代のNHKの特集のアーカイヴも見た。目覚ましテレビに出てた時はその時の映像を探した。

“普通”のアイマスpが中の人の画像を保存するかのように中の人の写真集を買うかのように、私は“普通”にディレ1の画像を集め続けた。

行為としてはごく“普通”のオタクだ。

それが対象が違うだけで“普通”のプロデューサーから“異端”と言われた。拒絶もされた。だが、拒絶されてもディレ1がいたから耐えられた。ディレ1という心の支えがいた。ディレ1は私に痛みを忘れさせてくれた。生き甲斐もくれた。

私にとってディレ1はモルヒネだった。

痛みを忘れさせてくれた。

そのモルヒネは唐突に底をついた。

つい、先日。5月8日。

私は鬱気味だった。どうしようもなく具合が悪く、午前中で学校を早退した。家に帰ってスマホの電源を入れ、ツイッターを開いた。

知り合いからのリプライで知った、ディレ1の退社。

トレンドのプリティーダービィー、ディレ1という言葉が否が応でも私の意識を掻っ攫った。

最初は現実を受け止めようとした。が、時が経つにつれて思考は底なしに減算されていった。なんとなく、なんとなく5thの雪歩pの気持ちや2011年のTGSにいた律子p、伊織p、あずさp、亜美pの気持ちがわかった気がした。ディレ1だから加害者なのだろうが。

『どうしようもない』

『自分は何もできない無力な存在』

『ただ、金を落とすことしかできない』

脳裏によぎる。

自分は無力。ユーザーは無力。そんな現実を叩きつけられた。

悲しみのあまりディレ1が退社したとわかった次の日1日何も食べられず、自室から出られなかった。

数日間、喪失感に襲われ、ただ学校生活を送ることだけをしていた。

ふと、私は思い出した。当たり前のようなことを思い出した。

私がやっているのはアイマス“だけ”じゃないことを思い出した。まだある、まだ私はディレ1以外にも何かを、その何かはそれは自分が生きる糧、いやプロデューサーごっこを続けられる“アイドル”を見つけられるのではないのでは、と。

アイマスと関わりがあって、それでいてアイドルが表に出てきて、私が前に通った道、音ゲーではないゲーム。

グランブルーファンタジーグラブルがあった。

また、私は世間一般の“異端”の道を進んだのだろう。もうわかってしまうだろう。現代文の問題ならば「それでいてアイドルが表に出てきて」の『アイドル』は何を指しているか?と配点1点の問題で書かれそうだ。

ディレ1を始めた時と同じように私は衝撃を受けた。ディレ1が退社して落ち込んでいたのも衝撃の強さに拍車をかけたのだろう。

その衝撃はベリアルのキャラ性でもない。ましては『どうして空は蒼いのか』と『000」のストーリーでもない。ゲーム内の内容じゃない。

また“普通”なのだろうもの以外、回りくどい表現だが“異端”なものに対して衝撃を受けた。

また、ゲームディレクターに衝撃を受けてしまった。

まただ。2度目、いや3度目だ。ゲームディレクターに衝撃を受けたのは。大森滋、石原章弘に続いて3度目だ。アクション系のゲームならいい加減学べって言われそうだ。3回も同じ攻撃、いや思考的な衝撃を受けたのだから。

福原哲也。私が新しく担当を名乗り始めた“アイドル”である。

現実の話をするならばグラブルのディレクターだ。ただのエライおっさんだ。

どこに衝撃を受けたのか、それはみりあちゃんと同じだった。一目惚れ。至極単純な話、顔だった。顔で惚れるのは至って“普通”だろう。対象が“異端”なだけであって。

ここまで倩と書いてきて、私というプロデューサーは普通なのか。はたまた、異端なのか。きっと異端なのだろう。クリエイターをプロデュースしたい、いやしているのが異端なのだろう。

そもそも私の中での普通がそもそも普通なのか。

アイマスpにおいての普通とは、なんだろう。

最後に問おう。アイマスのプロデューサーにおいての普通とはなんでしょうか。私にはもはや考えようがない。

貴方の意見をお聞かせ願いたい。